3.11
その日が近づくたびに忘れられない想いが溢れてきます𓈒
今日は⌜あわび⌟から子どもたちへ約10年前の⌜東日本大震災⌟の時のお話しがありました∘∘∘
今現在VIDAで過ごす子どもたちはˎ当時のことをˎ小さくて覚えていない子やまだ産まれていなかった子がほとんどです∘∘∘
その中でˎこの⌜福島⌟で育つ子どもたちには知っていてほしいˎ伝えていかなくてはいけないと ∘∘∘
お話しが始まりました∘∘∘
初めは⌜俺は津波でサーフィンするか⌟の言葉に笑い声がこそこそ聞こえていたり∘∘∘同じようにˎ笑いに変えて話す声がちらほらと∘∘∘
⌜地震の怖さ⌟を知らない子どもたちの素直な反応です∘∘∘
そこからˎその当時のみんなと同じ子どもたちが置かれた現実やあわびが実際にボランティアに来て両親の亡くなってしまった子と過ごした日から感じたことや、いわきに来て見た姿を真剣に涙を浮かべながら話す姿にˎおちゃらけて話を聞いていた子どもたちが⌜ごくり⌟と唾を飲み込んで真剣な眼差しであわびの話を聞き入っていました∘∘∘
話を聞いていた私も当時のことを思い出し胸が苦しくなりました∘∘∘
子どもたちの心にˎどれだけ響いてくれたかは図り知れませんが∘∘∘今後も伝え続けていくことが⌜福島で生き⌟⌜働く⌟私たちの使命だと感じます𓈒
その話の後ˎ子どもだちと⌜幸せ運べるように⌟という歌を歌いました𓈒
子どもたちの歌声で街を包みたい
⌜しあわせ運べるように⌟を作詞・作曲したのはˎ当時神戸市立吾妻小学校で音楽を教えていた臼井真先生𓈒
震災で東灘区の自宅が全壊しˎˊ先生自身も被災されました𓈒
吾妻小学校で避難住民の方の対応をしながら身を寄せていた親戚宅を往復する毎日𓈒
神戸で生まれ育った臼井先生はすっかり変わり果てた街を目の当たりにしˎ数々の思い出が失われˎ絶望感で胸がいっぱいになりました𓈒
そのときˎこんな思いが頭をよぎったのです𓈒
⌜子どもたちの歌声でˎ壊れた神戸の街を包みたい⌟
⌜生まれ育った神戸の復興のために自分ができることはˎ音楽で表現することしかない⌟
臼井先生はそばにあったB4の紙を急いで取りました𓈒
鉛筆で歌詞を走り書きしˎメロディーを加えˎこの曲はわずか10分で生まれたのです𓈒
臼井先生は、音楽を通して
やさしさや人の心の痛みがわかる子ˎ目に見えないものの美しさがわかる子になってほしい∘
そしてˎ小学生のときに何かに心が動かされて感動できる子ˎ涙を流せるような子になれればˎ大人になってもいろいろなことに感動できるような人になるだろうと思いˎ約30年間ˎ子どもたちへ音楽を教えています𓈒
現在ではˎ阪神淡路大震災を体験していない子どもたちも
この歌を通して多くのことを学んでいます𓈒東日本大震災後ˎ未来への希望の象徴である子どもたちが歌いˎ被災地のさまざまな場所で広がっているこの曲を
ぜひ聴いていただければ幸いです𓈒
神戸の皆さんが大切に歌い継いでいる
『しあわせ運べるように』が
東日本の方々をはじめˎより多くの方々に知っていただきˎ
⌜復興の歌⌟として各地で歌われˎ
⌜心の歌⌟として多くの方々の大切な一曲になれればと願っています𓈒
こんな想いのある歌を子どもたちと練習をし歌っていきます𓈒
その話の後ˎ震災当時の写真が載って
いる本を子どもたちが手に取り自ら何人かで囲みˎ無言で真剣に見ている姿が見られˎそれぞれの子どもたちなりに感じたことがあり受け止めてくれたのかなと感じました∘∘∘
もうあの時のようなことが起こらないよう願うばかりです𓈒
ただいつまた同じことが起きたとしても⌜自分や大切な人を守り抜く術⌟を学んでいてほしい∘∘∘⌜命の大切さ⌟を学んでほしい∘∘∘多くの人が心をひとつに協力することでまた⌜福島⌟で生きていけることを知っていてほしい∘∘∘そして⌜地震の怖さ⌟を知っていてほしい∘∘∘
当時必死に⌜自分の命⌟や⌜子どもの命⌟を守り抜いてくれたからˎ今この子どもたちと出会える奇跡を感じながら𓈒
そんな想いを持ってこの大切な子どもたちと過ごせたらと思っています∘∘∘
それでは長くなってしまいましたが∘∘∘最後まで読んで頂き有り難うございます𓈒今日のブログは⌜おなつ⌟でした∘